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6月22日の裁判報告
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6月22日の裁判報告!

 6月22日、仲井君の退学処分阻止の仮処分裁判、民事裁判。また、大学祭室の撤去阻止民事裁判が行われた。

特に、今回の裁判では大学祭室撤去阻止の裁判が最後を迎えており、最終意見陳述となった。大学祭室撤去阻止の裁判では、仲井君が最終意見陳述。06年からの学生自治会への弾圧とビラまき禁止などを軸とした学生団体やサークル活動つぶしを徹底弾劾した。さらに、この背景に教育の民営化、具体的に06年からの新学則の制定にあることを鮮明にさせた。同時に、3月11日の東日本大震災情勢をふまえ、富山大学の教育の民営化と学生自治破壊が、北陸電力と結託して石川県志賀原発推進に至っていることを暴露した。

 さらに、中野君も最終意見陳述。中野君の意見陳述については、当日の意見陳述に加筆、修正して以下、掲載する。

0.裁判の経緯
 大学祭室はかつて学生会館の2階にあったが、大学は「学生会館を改修するから、大学祭室を明け渡せ」と言って明け渡しを求める裁判を起こした。その後、裁判は今も続いているが、裁判中であるにもかかわらず大学当局は改修を行い、大学祭室は消滅した。今この裁判が続いているのは、大学祭室の撤去は正しかったのかどうかはっきりさせるためだ。これで大学当局が正しかったとなればともかく、もし大学当局が間違っていたら大学祭室を大学構内に新たに作ることを要求したいところだ。

1.大学の主張についての反論
 大学祭室明け渡し裁判は、単に大学祭室の問題ではなく政治的弾圧である。大学側は、
・大学祭実行委員会は非公認化されているから大学祭室を使う権利は無い。
・大学祭実行委員会は既に活動していないから、大学祭室を使う必要はない。
・よって大学祭室を明け渡せ。
と言うが、この言い分には反論したい。その非公認化は大学当局が行ったものである。言ってみれば、大学祭室を奪うために非公認化することもできる(本当はもっと悪質だ)。真面目な審査の結果、非公認化したということではなく、非公認化することは既に決まっていて、その上で言い訳として公認審査をしたということだ。せめて大学当局や大学祭実行委員会ではない第3者機関(そんなもの存在し得ないが)が公認審査をすれば少しは言い訳になっただろうが、これでは公平性というか客観性が、全く無い。
 もっとも、大学当局が学生団体を公認・非公認に分けることそのものが不当である。これでは、大学に批判的な学生団体はもちろん、学生自治のための学生団体も、大学当局に都合が悪いということで非公認化されてしまう。新樹寮も大学とケンカすれば非公認化ということで、嫌嫌ながらも改修工事を受け入れざるを得なかった。単純な話、大学を批判する学生は退学処分というのと同じだ(これは実際に起きた)。暴力による恐怖政治と、刃向かうものへの弾圧ということだ。そういう大学当局による学生支配の道具としての公認制度だ。
 大学祭実行委員会は学生だけで運営されてきたし、大学祭を行うのも大学祭を楽しむのも学生である。だから、そこに大学当局が口を挟む必要はなく、大学祭実行委員会を審査するのは学生がやれば良い事だと思う。大学当局はもちろん、大学当局でない第3者機関と言っても、大学に買収されないとは限らないので、やはり学生自身が審査するべきだろう。これは大学祭実行委員会に限らず学生団体全般に言えることだと思う。
 
 「大学祭実行委員会は既に活動していない」、というのは大学祭実行委員会が怠惰であるのでもなく、大学当局が「大学祭実行委員会は非公認団体だから、入会するな、会費を払うな」ということを新入生や学生に宣伝したり、学内での活動を妨害したりとした結果である。大学当局が大学祭実行委員会の活動を妨害して置いて、「活動していない」というのも変な話だ。

 このような訳だから、大学当局の言い分にはがっちり反撃できるのだが、一応は大学の学生規則による「合法」な非公認化なのと、大学=国=裁判所という癒着構造のせいで裁判に負けることも考えられる。
 
2.大学当局による学生管理
 大学に都合が悪い学生団体というのはどういうものか?詳しくは後に述べるが、大学は学生を管理したいので、学生自治を行うとする学生団体は大学当局には都合が悪い。
 例えば、コンパで急性アルコール中毒を起こすようなものや、事故でけが人を出すような学生団体は確かに取り締まらなくてはいけないかもしれない。しかし、大学当局はそういう事件に対しては対外的には「管理に不備があったようですみません」と反省しているように見せながらも、それは大学当局による学生管理がさらに厳しくなるということだ。学生を管理したい大学当局にとってはこういう事件はむしろありがたいくらいだろう。
 
 この学生の管理というのは学生の自由を奪い、学生を侮辱するものだ。学生は管理されなければいけない愚かな存在なのかどうか考えてみて欲しい。私が体験した、大学による学生管理の一部を見ていくと、
・大学祭実行委員会、五福キャンパス学生自治会、等学生自治の団体を大学当局が一方的に非公認化。それによって大学祭も消滅。
・数年して大学当局主導で大学祭を復活させた。
・大学構内での許可なきビラまき、マイク演説、立て看板の設置は禁止。(←学生規則)
・大学の中ではビラがまけない学生が、大学の正門前(つまり大学の外)でビラまきをしていたことを理由に訓告処分を下し、停学もほのめかした。
※この「許可なき」というのは、大学に都合が悪い学生団体によるこれらの行動は一切認められない。

・2008年、新樹寮の寮生に何の話もなく「改修するかもしれないので入寮募集停止」と通告。この時、新樹寮は寮生による自治を行っていた。大学とも全寮委員会(寮生の代表)が話し合いを行うこともあったが、この話は突然だった。
・2009年、「改修を受け容れなければ非公認か廃寮にする」と新樹寮に言ってきた。寮生は改修に反対したが、「改修は大学が決めたから、止めることはない。」といって話し合いも拒否。
・選挙の結果、改修反対を主張する寮生が新樹寮の全寮委員長になると、「大学としてはこの全寮委員長は認められないから話し合いに応じない」「全寮委員長を交代させないと新樹寮を非公認化する」といって選挙のやり直しを要求。
・自治を主張して大学を批判する寮生を退学処分にしたうえ、それを理由に退寮にするよう新樹寮に要求してきた。
・「学生は社会の事をろくに知らないのだから、大学の運営や政治の事に口を出すな」「大学は勉強するところだから、学生は授業に出ていればいい」と大学の職員が言う。

3.大学の意図
 大学の管理というのは学生の自由を奪い、自分で考える力を奪っている。学生から主体性を奪うということだ。大学は「リーダーシップ、独創性、主体性のある学生を社会に送り出す」という建前とは全く逆の教育を行っている。国民が「民主党のどこが民主的なんだ、ちっとも私たちの言うことを聞いてくれない」というのと似ている。
 学生を管理するというのは学生の人間としての尊厳を踏みにじっている。大学当局がビラまき等を許可制にする前に、学生にとって何か困ったことがあったわけではない。治安が悪いとか、秩序が無いとか、そういう風ではなかった。学生は学生自治会を作って自分たちで秩序を守っていた。学生自治会はビラまき等を許可制にする新学則の制定に反対したが、大学当局は新学則を既成事実とし、学生自治会を非公認化した。つまり学生は今の学則を承認した覚えなどない。だが、大学当局はその学則によって合法的に学生自治会や大学祭実行員会を非公認化し、大学から追い出し、ビラまき等の活動を大学職員によって妨害させ、学生に対し停学や退学処分にした。大学に逆らう学生には、一般の学生としての権利は無く、さらに言えば思想信条の自由や表現の自由もないということらしい。
 新樹寮についても、寮生が改修について話し合いを求めても全く聞こうとせず、更には選挙のやり直しを求めてくる始末である。新樹寮はその頃、寮生が選挙を行って寮の代表者を決めて大学と話し合いを行っていたが、その代表者が気に食わないから交代させろ、とは民主主義さえ通用しない。選挙をやり直せというのは、その全寮委員長(私だ)と選挙をした寮生全員に失礼である。
 このように大学当局は「管理」ということで、学生や寮生の人間としての尊厳を踏みにじる。そうして学生が主体性を奪われたところで、「学生は政治や社会の事に口を出さず、授業に出て勉強して単位を採れ」とばかり言う。知れは社会の現実の問題と大学の授業を切り離してしまうことになる。富山大学工学部では、北陸電力の職員が講師として招かれて、「原発は安全な設計をしている」といった事を教えていたが、福島の原発事故で実際は安全ではないことが分かった。にもかかわらず、大学は「政治や社会の事は考えるな、授業に出ろ」という。これは教育ではなく洗脳と言っても良いと思う。
 政治は国民すべてに関わり、私たち若者は今後何十年もこの社会で生きていくのだから、政治の事を言うのは当然だと思うのだが、どうだろう。例えば、原発は危なかったと分かったから原発を無くそうと主張するのも普通だと思うのだがどうだろう。そんな事を思うと大学の授業に出ることが学問であるとはとても思えない。学生の自由、主体性を奪うことは大学や学問の根本を否定するものだ。学生が主体的に考え、世の中の常識を疑ってみて、正しいと思っている事を主張する、その真偽を確かめる、それが学問のはずだ。その学問の場としての大学のはずだ。現状から考えれば、今の大学当局には学問をする気もなければ真面目に教育する気もない、ということだろう。
 では今の大学は何のために存在するのか?一つは大学当局と大学に群がる企業が、教育という商売(貧困ビジネス)で儲けるためだ。二つ、企業にとって都合の良い、従順で忍耐強い「競争力のある新入社員」を育てるため。三つ、今の国の体制を維持するために洗脳教育を施すため(例えば、原発は安全だと教育する)。私が考えたところはこんなところだ。
 大学はその目的のためには、学生自治はつぶさなければならないし、大学を批判する学生を処分しなくてはいけない。今はまだ平和だから良いかもしれないが、いざ国が戦争をしようと言う時、こんな大学では戦争に反対することもできないだろう。
 
4.これは政治的弾圧である
 このような理由から、大学当局は学生を弾圧してくる。しかしそれは合法的で巧妙だ。学生への弾圧は基本的に学則や日本の法律に則って行われる。だが、合法なら何をしても良いのだろうか。合法という意味では、戦前の大日本帝国もまた「合法」的に戦争に反対する人を弾圧した。合法であれば良いわけではない。国はテロリストを取り締まろうとするが、テロリストによるテロよりも、国の弾圧の方が大勢を殺すのは歴史が物語っている。私たちは無論テロリストではないから、取り締まられる必要などないのだが、もし取り締まるとするならやはり学生が、自治を行って自ら取り締まるのが良いだろう。
 裁判所は法の番人であるが、合法的に弱者を弾圧するつもりなのだろうか。大学祭室の問題は、小さいようで大きな問題だ。裁判所が守るのは腐った大学なのか、自由を求める学生なのか。中立はあり得ない。
 
 以上

 富山大大学当局は、6人も傍聴に来ていたが、学生の全く正当な意見陳述にうなだれるだけだ。裁判終了後、読売新聞、富山新聞、北陸中日新聞がインタビューにくるなど大注目の裁判だった。


 次回裁判は8月31日、14時~仲井君の退学処分阻止の民事裁判。9月14日、13時10分〜大学祭室撤去阻止の裁判の判決だ!
 また、仲井君の退学処分阻止の仮処分裁判は8月12日が書面提出の期日で。それ以後、仮処分の決定が行われようとしている。


 この裁判は、富大生1万の権利と自由を決する裁判だ。9月14日の大学祭室撤去阻止の判決に集まろう。8月仲井君への退学処分の仮処分決定を阻止しよう。
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2011.06.29 / コメント:: - / トラックバック:: - / PageTop↑


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